小野妖怪よろず相談処・壱

  序:相談処、誕生  



 時は平安時代初期。
 嵯峨《さが》天皇が即位してはや数年。宮廷内外で「少々のいざこざ」は絶えることはないが、人々は昼も夜もおおむね平和に暮している。

 その……はずなのだが。平安京には、未だに悪鬼怨霊がはびこっていた。

 意中の姫君や妻の屋敷から朝帰りする貴族が鬼に襲撃されて怪我を負ったり、出仕してくる貴族が妖しげなものに出くわして腰を抜かしたり。奇妙奇天烈な話は一向に減る気配がない。
「おかしいな、このわたしが帝位についたというのに、どうして怪異現象が減らぬのだ?」
 報告をうけとる度に帝が首をかしげるのも、無理はない。帝が玉座にあって諸々の『国鎮めの儀式』を執り行うだけで、天地の「理《ことわり》」は正される。悪鬼怨霊も姿を消しあらゆる「乱れ」は収束し、国は落ち着くと言われているのだ。
「人間どもの思惑が入り乱れる政《まつりごと》が乱れたまま落ち着かぬのはともかくとして……妖気《ようき》と瘴気《しょうき》で大気がこんなにも頻繁に乱れるのは一体どうしたことか」
 この帝は、生まれながらにして甚大にして凄烈な霊力を持った『術者』でもあるため、儀式の効果は歴代の帝よりずっと大きいはずである。
「……解らぬな。なぜ減らぬのだ?」
 
 その日帝は、美人と評判の姫君の屋敷から宮中へ戻る途中――正しくは、内裏を抜け出して美人と評判の姫君のところへ足繁く通っていたことが臣下にばれて連れ戻された――で、百鬼夜行《ひゃっきやこう》に遭遇した。
「まて、止まれ」
 それまで不機嫌一色だった帝は急に生き生きとして牛車《ぎっしゃ》から気軽に飛び降りた。
「陛下! 何事ですか!」
「下がれ。妖《あやかし》だ。妖気に触れるな、体を壊す」
 帝を車の中に押し戻そうとしていた臣下たちが怯んだ。彼らを逆に車に押し込んだ帝は、無造作に手を伸ばして鬼を一匹とらえた。
 小さな体に大きな頭。額には角が一つの赤い鬼だ。妖気も悪意もほとんど感じられない、害のない小物だ。
「鬼を素手でとらえるとは大胆な人間だな、おい」
「わたしがその気になればこの程度の百鬼夜行など片手で消せることくらい、わかっているだろう?」
 ちらり、と懐から呪符《じゅふ》を見せる。
「ったく……。鬼を脅迫する天皇なんざ、未だかつて聞いたことがねぇよ……」
 鬼の言葉に帝は人の悪い笑みを浮かべた。
「生憎、わたしは歴代の帝のようになるつもりはない」
「お前、人や妖怪問わず、陰で自分が何て言われてるか知ってるか?」
「……何だ?」
「悪たれ」
 帝は秀麗な顔を思い切り顰《しか》めた。
「誰だ、そんな根も葉もないでたらめを言うのは。わたしは生れてこの方、憎まれ口をきいた事も乱暴狼藉を働いた事も一度もないんだがな……」
「こんな嘘八百をいけしゃあしゃあと並べる奴が玉座におさまってていいのかよ……」
「わたし以外に、天皇の適任者はいるか?」
 お前以外ならだれでも適任だろ、とうっかり答えてしまった小鬼の鼻先に呪符が突き付けられた。
「……で? なにを聞きたいんだ、陛下?」
「そなたらは、なぜ平安京にとどまっている? 都の造営の際には丹念に祓い、東西南北の四神に守護を依頼したはずだが?」
 鬼は平然と答えた。
「何だよ、そんなこともわかんないのか。『人』があとから来た。先にこの土地に住んでいる俺たちを問答無用で追い出すってのは、おかしい話だろ?」
 ふむ、と帝は形の良い顎に指をかけて首を傾げた。
「それに俺たちにも事情があるからさ、出て行けと言われて、はいそうですか、と出ていくわけにはいかないんでね」
「なるほど……お前たちの事情、ね……。面白い」
「面白いかぁ?」
 首を傾げる小鬼に、帝はにやりと不敵に笑って見せた。
「……わたしのもとに下れ。……ゴウキ」
 小鬼が、びくりと震えた。帝は、小鬼の真の名――まな、という――を呼んだのだ。
真名を掴まれるということは調伏《ちょうぶく》され相手の支配下におかれたことを意味する。だから妖怪たちは自分の真名を知られぬよう細心の注意を払うのだが、格が上の者は、格下の者の魂に刻まれた真名を読むことができる。
 その真名を呼んだ相手が高位の妖怪ならば、呼ばれた方は僕《しもべ》と呼ばれ、呼んだ相手が陰陽師や術者なら、呼ばれた方は式《しき》と呼ばれる。
「剛、奇、と書くのか。悪くない。お前は使えそうだ」
 これは相手が悪い。悟った小鬼――剛奇は、深々と溜息をついた。

※※※

 奇妙な勅令《ちょくれい》が下されたのは、その翌日の朝議《ちょうぎ》でのことだった。いつにもまして明朗な声音で帝がいきなり言った。
「妖怪専門の相談機関を設けることになった」
官たちは思わず溜息をもらした。帝が自ら進んで意気揚々と朝議にやってきた時点で
「これは何か、厄介な事があるに違いない」
と思っていたのだ。
「期限は無期限、機関の長はわたしが務める」
「異議を申したところで、お聞き入れてはくださいますまいな……」
 高齢の官の発言に帝は盛大に笑った。
「さすがに爺《じい》は良く解っておるな。その通り、わたしはもう決めたぞ。配下は……あいつだ」
 帝が扇で示した方向には、若い貴族たちがいて談笑している。いずれも十四、五歳、揃いも揃って有能だが、まだ朝議に出席するほど高位の官ではない。
「恐れながら陛下、彼らのうちの誰を……?」
「あれだ、あの左の」
 どれだ、と改めて見れば集団から少し離れたところに、美少年が二人いる。片方は文官の衣を纏い、もう片方は武官の衣を纏っている。二人とも、同年代の若い貴族たちより頭一つ出世が早い、いわゆる『出世頭』だ。
 ゆくゆくはこの二人が嵯峨天皇の朝廷を支えて行くだろうと噂されている二人を、高官たちが知らぬはずはない。
「近衛少将《このえしょうしょう》の藤原春明《ふじわらのはるあきら》ですかな?」
「いや、そっちじゃない。文官の方だ」
「ええっと、ならばあれは……小野岑守《おののみねもり》殿のご子息でただいま弾正少弼《だんじょうのしょうひつ》の……」
「そう、小野篁《おののたかむら》だ。あいつは文武両道だし口も達者だ。相談相手に相応しいだろう?」
「へっ、陛下! 幾らなんでも……篁が有能な若者といえども、さすがに一人では厳しいのでは?」
 爺、案ずるな、と帝は声を落とした。
「書面上は篁一人の任命だがな……篁を任命すれば、春の如く優しい気性の春少将《はるしょうしょう》がもれなく手伝うだろう? 実務は二人になる。心配無用」
「あの二人は、幼馴染でありましたかな……」
「阿吽《あうん》の呼吸と言う奴だな、あれは。良い組み合わせで、二人をまとめて使うとこれがなかなか都合が良いので重宝している」
 皆も覚えておくとよい、と不敵に笑う帝に、官たちが呆れともつかぬ溜息をついたころ。
 相談処の係り員を命じられたことが篁の耳に届いたらしい。
 なんだって!? と、篁の素っ頓狂な声があたりに響いた。  

 それが、いまからざっと一月ほど前の話。
 これが、後に『小野妖怪よろず相談処』と呼ばれるようになる、妖怪相手の相談機関が誕生した瞬間だった。
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