青い衣は風に舞う外伝〜夕凪藩のハロウィン〜 【完全版】

 とりっくおあとりーと、覚えたばかりの異国の言葉を必死で復唱する少年は、目の前に置かれた衣装にはまだ気付いていないらしい。
 それを良いことに、せっせと『仮装』の準備を進める。
「健次郎、言葉の意味も覚えたか?」
「えっとこれは、異国の……えげれすでも、阿蘭陀でも、亜米利加でもない遠い国の『はろいん』なる祭りの一環です。とりっくおあとりーとの意味は『寄越せ、さもなくば悪戯するがよいか』……でしたっけ?」
「うむ、祭りの背景は合っておるな。しかし言葉の意味に、菓子が抜けておるぞ。『菓子』を抜いては、単なる物騒な言いがかりになってしまうでな。気をつけよ」
 こくん、と真面目な顔で頷く少年は、備前夕凪藩の少年藩士・若杉健次郎だ。
 攘夷だ開国だと何かと喧しいご時世だが、健次郎はそのようなことには全く興味を持っていない、珍しい――世間知らずの少年だ。
 若様のお傍で優秀な「小姓」として走り回っているのが、その傍ら、江戸の町の剣術道場に入り浸って何日も帰ってこないことが多々ある。
 江戸家老が道場まで直々に迎えに行ったり長屋門で待ち伏せされて叱られたり――それが健次郎の日常だ。
 そんな彼が、夕凪藩の江戸上屋敷に滞在中の蘭学者に興味を示し、仲良くなったことは、驚きをもって家中に広まった。
 この蘭学者は、江戸の本所で暮らしている老女・お鶴さま――夕凪藩ゆかりの女性らしい――の義弟である。なんでも頻繁に『長崎屋』――オランダ商館長一行の江戸参府の際の定宿だ――に出入りしていて異国の事に詳しい。
 異国の事情が聴きたいと言い出した夕凪藩藩主が、彼を上屋敷へ呼び寄せたのだ。
 そんな彼に健次郎が興味を示すとは、誰も思っていなかったのだ。
「健次郎が、剣術以外に興味を持ったぞ」
「素晴らしい! 快挙である!」
 蘭学者――堀田寿行《ほったじゅこう》という――のもとには「健次郎の兄」だと名のる人物が続々と押しかけ、握手をしていった。
 それほど、健次郎が他のことに興味を持つのは、珍しいことなのだ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 堀田が宛がわれた部屋には、異国の珍しい物がいくつもある。それを健次郎は興味深げに眺めては、堀田の説明を待つ。
 世間に疎いがために「まっさら」な健次郎は、偏見も思い込みもなにもない状態で堀田の話を理解していく。
「堀田さま、この橙色の南瓜は何につかうのですか? やたら大きいですが」
「ああ、これは、ハロウィンに使う道具だ」
「はろいん?」
「異国の祭りでな、切支丹の間でもさほど有名な祭りではないようであるが、ちと小耳にはさんでな。随分と骨が折れたが独自に調べてみたのよ。これがなかなかに面白くてな。化け物に変じた子供たちが各屋敷を尋ねて行く。「トリック・オア・トリート」と言いながら。そして大人たちは、用意しておいた菓子を子供たちに配る」
 健次郎の想像が全く及ばぬ世界らしい。こてん、と首が傾げられている。だが、楽しそうだとは思ったらしい。目が輝いている。
「この南瓜は、飾りに使うのだよ。中をくりぬいて、蝋燭を立てて、『ジャック・オ・ランタン』というものに仕上げる」
「じゃくお……? それは弱い男なのですか?」
 ちと違うな、と笑った堀田は、手近にあった小筆をとって、さらさらと絵を描いてみせた。
「わ、ぎざぎざの歯、変な顔! でもこれを持って夜回りに出たら面白そうですね。もちろん、藩邸の中だけですけど……」
 こんなものを持って江戸の町に出ようものなら、たちまちおかしな噂が広まって、過激な攘夷派に藩邸や藩士が攻撃されてしまう。その程度のことは、健次郎も把握している。
「数日待て、それがしが、作って進ぜよう」
 わーい、と健次郎は手を叩いて喜んだ。それ以来毎日のように健次郎は、「弱男はできましたか」と、堀田の部屋にやってくる。無邪気で、可愛らしい。
 しかし、健次郎は「剣士」である。ある日夜も更けて堀田の部屋にやってきた健次郎は、血の匂いを纏わりつかせてぴりぴりした雰囲気だった。
「健次郎、なんぞ事件でもあったのか?」
「はい。『憂国志士隊』が、また立て続けに人を襲いました」
「なんと……!」
 憂国志士隊とは、ちかごろ江戸の町を騒がせている剣客の集団だ。表向きは「国の為」と言っているが彼らは志士でも何でもない。
 少しばかり腕が立つので、腕に物を言わせて悪行三昧を繰り返している破落戸の集団だ。
 相当な人数がいるらしく、全員が講武所風の髷を結い、派手な着物を着ている。大刀は無駄に長く、時には『憂国之志士』と染め抜いた腕章や旗を持っていたりする。
 人数が多い上に似たような恰好をしているために、人斬りや押し込みがあった際、下手人が『憂国志士隊』とまではわかっても『憂国志士隊の誰なのか』までは、解らない。
 偶然そうなったのか、誰か黒幕が操っているのか、それすらわからないため、奉行所は頭を痛めている。
「奉行所から連絡があって駆け付けてみたら、うちの藩士も斬られていました。おれ、現場を見たら頭に血が上っちゃって……。皆様や奉行所の小丸さまの制止もきかずに、近くにいた『憂国志士隊』に向かって剣を抜いてしまいました……」
 そうか、と堀田は言った。健次郎の身の上は、一通りの事は知っている。
「人を殺す剣を遣う者が、許せぬのだな」
 こくん、とうなずいた健次郎は、深いため息をついた。
「おれが腕を落とした人が、夕凪藩士を殺したとは限らないのに……」
 そんな健次郎の肩を軽くたたいて、堀田はこう声をかけた。
「健次郎、ジャック・オ・ランタンであるがな、明日には仕上がろうと思う」
 がばっ、と健次郎が顔をあげた。
「わーい! では明日の夜回りは堀田さまも一緒に行きましょう!」
「なに! それがしに同道せよ、と申すか?」
 堀田が不安そうな顔をした。
「それがし……剣術はからっきしでな……」
「大丈夫です。堀田さまを襲う人はこの藩にはいません」
「それもそうであるが……」
 ふいに、堀田の脳裏を『仮装』という単語がよぎった。
「ならばいっそのこと、仮装もしてみてはいかがか」
「仮装、ですか?」
 堀田は頭の中で算段をつけた。白い布をばさりと羽織り、白い覆面に目鼻をかけば『ゴースト』のできあがりだ。
「うむ、用意はそれがしに任されよ」
「は、はぁ……」

 その翌日、いそいそとやってきた健次郎は、ランタンと仮装の用意をする堀田に始終くっついていた。異国の祭りがすっかり気に入ったらしい。
 そしてちょうど日が落ちたころ、ランタンが完成した。中に立てた蝋燭に火をつけてやると、健次郎は大喜びでずっと眺めている。
「気に入ったか?」
「はい」
 夜回りの刻限になっても姿を現さない健次郎を探して、今宵の夜回り当番の藩士たちが次々と堀田の部屋にやってきた。彼らも、ランタンを興味深げに見る。
「ほほう、なんとも奇妙な行燈でござるな」
「あたたかな光でござるなぁ……」
「健次郎、これ、そろそろ支度を致せ。今宵は仮装なるものを致し、菓子をせしめると堀田さまに聞いたぞ」
「そうなんです! えーっと、堀田さま、口上はなんでしたっけ」
「トリックオアトリート。意味は、菓子を寄越せ、さもなくば悪戯をするぞ」
 健次郎が必死で復唱する間に、堀田は用意していたゴーストの衣裳を健次郎に着せて、覆面もかぶらせた。ずいぶんと可愛らしいゴーストの完成だ。
 異国との交流がほとんどないこの国で即席のハロウィンにしては上出来だろう。堀田は一人、満足していた。
「よし、健次郎、念のために通常の提灯も用意いたすぞ……って聞いておらぬな……」
 ゴースト・健次郎は、ジャック・オ・ランタンを抱えて、元気よく部屋を飛び出し、はやくはやく、と手を振っている。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 順調に巡回し、健次郎の懐は菓子で膨らんでいる。
 ご機嫌に歩いていた健次郎と、藩士の足がふいに止まった。
「健次郎、どうした?」
「堀田さま、下がって下さい。不審人物です。藩士ではない人間が紛れ込んでいます」
 同行の藩士が素早く提灯に火をつけ、健次郎の手からランタンを受け取った。
 ぱっと明るくなった先には、三人の不審な男がいる。だが男たちは、少し困惑しているようだった。
「はて、面妖な……」
「妙な覆面をつけたままで、我らを倒すつもりかな。それともおとなしく斬られるつもりか」
 するすると前に出た健次郎は、白い布の下で鯉口を切り、既に腰を落としている。
「生意気な白覆面、その方から始末してやろう」
 健次郎が斬りかかるのを察した同行の藩士が、慌てて襲撃者に問いかけた。
「貴様ら、何者だ。ここを備前夕凪藩上屋敷と知っての狼藉か」
「我らは『憂国志士隊』の猛者よ。ここに異国かぶれの怪しからん輩が滞在していると聞いて、成敗しに参った。国の為にならぬゆえな」
 憂国志士隊、と聞いた健次郎の闘気が高まった。
「成敗されるのは、堀田さまではない。その方らだ。健次郎、待たせたな。存分にやれ」
 その言葉が終わらないうちに、ひゅん、と白い塊が三人の男に接近した。
 慌てて三人が抜いたが、その時には一人目の首が地面に転がっている。それを目で追った二人目は抜く間すら与えられずに胴を抜かれ、三人目もいつの間にか事切れていた。
「健次郎、また腕をあげたな」
 呆れたように藩士が呟き、堀田は呆然として目の前の小柄な少年を見つめた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「とりっくおあとりーと!」
 今日も夕凪藩上屋敷には、健次郎の元気な声が響く。すっかりその言葉が気に入った健次郎は、事あるごとにそう叫んで、にゅっと手を伸ばす。
「健次郎、先ほど饅頭を二つやったであろう! 夕餉まで待て!」
「えーっ! とりっくおあとりーと!」
「ならぬぞ、近頃、菓子で腹がふくれて夕餉が食せぬこともあると聞いたぞ!」
「菓子をくれぬのなら悪戯します」
「出来るものならしてみよ。今は夕餉の支度で忙しい。大人しく堀田先生のところへ行っておれ」
 いやだ、と健次郎は首を横に振った。なにせ今は「蘭学」の講義中なのだ。
 今や「夕凪藩蘭学講師」という身分になった堀田の部屋に入り浸ることが多い健次郎だが、講義が始まるとそそくさと逃げ出してくる。
「健次郎は、蘭語など勉強したくないです! とりっくおあとりーと!」
「ならぬ! 誰か菓子を錠前付きの戸棚にでもしまっておけ!」
 それでも、とりっくおあとりーと! と叫ぶ健次郎の声が、藩邸に長閑《のどか》に響いていた。

【了】

これは「 」文庫のハロウィンコンテストに応募したも作品の完全版です。
3000文字以内におさめたものは、「 」文庫コンテストページと「小説家になろう」にも掲載されています。
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